なぜ、オウム真理教は日本史に例をみないテロリスト集団になったのか?社会的背景から考察してみた。
- 2018/07/18
- 勉強になったこと
最初からテロリスト集団は発生しません。社会の闇や矛盾から生まれるのでは?
先日、松本智津夫死刑囚が死刑執行されました。連日のように『オウム真理教』についてのTV報道、新聞記事がありました。
オウム真理教は日本史上例を見ないテロリスト集団でした。
これは紛れもない事実です。(事件などの詳細はこちら)
『なぜオウム真理教はこのような集団になったのでしょうか?』最初は宗教法人だったはずです。
『原因のない結果はありません。』
この原因を紐解くと日本社会の在り方が問われるような気を私は感じました。
私なりに紐解いてみました。
オウム真理教が台頭した時代背景について
高度経済成長期の日本は『学歴社会』というのが尊重されました。私見で恐縮ですが、目に見えるモノが重要視された時代と私は捉えております。
高度経済成長期により、土地やモノの価値がどんどん上がっていきました。
当時は嫌なこともでも我慢して、勉強や仕事をすれば、働いた分だけ
豊かになれる時代とも言えるかもしれません。
いつしかこのような価値観が生まれました。
学校に毎日行って、勉強して、いい大学にはいって、いい会社に就職して、
いい給料もらえるのが豊かで幸せな人生である。そして、充実した年金と退職金で今まで頑張った分のご褒美で悠々自適な生活のセカンドライフが待っている。それが幸せでの人生であり、幸せな人生を送れる。だから今は勉強をしないといけない。だから今は、どんなに辛い仕事でも有無を言わず働かないといけない。
それが幸せなのだ!それが幸せの人生なのだ!と皆んなが声を揃えて言いました。
子供もそうやって教育されました。
TVCMでも『24時間働けますか~?』や『3高(高学歴、高収入、高身長)』という言葉が生まれました。しかし、今では『働き方改革』や『3高ならぬ4低(低姿勢、低依存、低リスク、低燃費)』という言葉があるように、今の時代では時代錯誤です。
私はそれはそれで当時は素晴らしい価値観だと考えております。
そして、バブル崩壊の後、日本の高度成長期は終焉をむかえます。
今まで身を粉にして大学に入ったり働いた方の地位や収入、扱い方が変わってしまいました。価値観もかわります。
いい大学、いい会社、老後の年金…などの価値観が薄まるようになりました。
今までそれを目標に頑張っていた人は喪失感で心にポッカリと穴があいてしまいます。
『今までの頑張りは何だったんだろう?』『何を信じていけばいいのだろう?』『何をやっても、虚しいし、苦しい』『これ以上頑張れない…』
特に、一流大学、大手一流企業に勤めて言った方は顕著になりました。
それはそうですね。今まで信じて疑わなかったものが破綻するわけですから。
『目に見えるモノ』から『目に見えないモノ』への価値観の変化の流れへ。人生は無常である。
今までは物資不足の時代があり、ものがない時代でした、ものが満たされることによって、
幸せだと思いこんでいました。
しかし、『モノではない、目に見えないものが本当に大切なのでは?』という価値観に社会が方向転換しました。
目に見えないものというのは『愛や時間、信じる心』などです。
それに取り残される方も沢山いました。
そこの空いた隙間に、仏教などの宗教や人生観を猛烈に勉強した麻原彰晃という方が説法をします。『仏様はこのようなことを言っていますよ。私はこのように考えています。』と。
失った虚無感、何を信じていけばいいのだろう?という方には、空いた心にスポッと入ってしまいました。
『あっ、この人の考え方に出会えてよかった』という形で盲信してしまうと、見えるものも見えなくなります。見たくないものも見えないようになります。
見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じるようになります。
人間って不思議ないきものですね。
ウソをウソで塗り固めた行く末には…
画像参照『NARUTO』より
その後、急速にオウム真理教は信者数を増やしていきます。
その時に1つの事件が起きます。
それは『信者さんを殺害』してしまいます。
選挙にも負けます。その後は益々過激になり、反社会的勢力、史上最悪のテロリスト集団になります。
そして、地下鉄サリン事件という今でも被害で苦しんでいる方々が沢山いらっしゃる事件が起きます。
結果的に、オウム真理教を崇拝しても、誰一人幸せにならなかったのです。今でも辛い思いをされている方がいらっしゃると考えると胸が苦しいです。
自分の心に正直に生きる人生とはどうなんだろう?
画像参照『NARUTO』より
私はこの記事を通じて2つの事をお伝えしたいです。
1つ目は『皆様の心を満たすモノはなんですか?』『長期的、本質的、客観的に観て健全なものですか?』という事です。
心の温かさって抽象的だと私は考えています。曖昧なのです。モノのようにはっきりしていません。
心の隙間にスポッと入ってしまうものが健全的なものであれば問題はないのですが、このようにいけない事と分かっていても、自分の心を止める事ができないのも現実なのです。
だからこそ、心の空いた穴を埋める方法は健全であってほしいと私は思います。幸せの青い鳥は案外身近なものにありました。心の空いた穴っていうのも案外身近にあるのかも知れません。
時代の流れと共に価値観などは変わってしまいますが、その中で心を満たすものや、在り方が大切になります。
私はこれからはモノの時代でなく、ココロの時代だと確信しています。
皆様の心を満たす存在は何でしょうか?私は心をホッと温まる存在にお味噌があってほしいと考えています。ほんの心の片隅でいいのです。
もう一つ伝えたい事は『指導者の立場や在り方、向かうべき方向性』についてです。
松本智津夫さんという方は人を惹きつける人間的魅力と求心力は非常に強い方だと私は感じました。そうでないと、一流大学をでた方々や実績豊富な医者、弁護士、学者の方々を束ねる事ができません。
才能と実績に満ち溢れた人が綺羅星の如く1つの組織に所属しているのです。
そして、その才覚に優れた方々が持てる限りの知恵と工夫、努力をするのです。すべてのエネルギーを費やして1つの組織と目標の為に尽くすのです。組織としてそれが行われるとものすごいパワーになります。その結果、化学兵器のサリンの製造に成功したり、いくつもの殺人など反社会的行為することができました。自動マシンガンも密造できるなんて人間業ではないと感じました。
反社会的行為としてはとんでもない結果を作り出しました。その結果としていろんな方々が不幸になりました。私は悲しいです。
稲盛和夫さんは人生とは『能力×熱意×考え方』である。と言いました。オウム真理教と松本智津夫さんは考え方という向かう方向性が違いました。これが、もし、もし、松本智津夫さんの考え方が『世のため、人のため』というよい方向に向かっていたら、とんでもない社会貢献ができたのではと私は感じました。
1つの事件から色んな事を学びました。また、長文を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。