一枚の絵画と自分が中学校の頃のマルカワみそ
- 2011/09/29
- 紘一郎のプライベートな話
自分の部屋を掃除していたら、一枚の絵画が出てきた。
自分の部屋を先日掃除をしました。
色々とごちゃごちゃしたものがたくさんあったので、古い服や使わないタンス、布団などを一掃しました。
非常にさっぱりとして気持ちいい部屋になりました。
その時に一枚の絵画が出てきました。
味噌のお手伝いorお仕事の絵がでてきました。
とても、12歳の画力と思えないくらい、下手っぴな絵ですね(笑)緑ばっかりです(汗)緑一色(リューイーソー)とでも名づけましょう(笑)
けど、自分の中でよく当時、この絵が描けたなぁ…と思いました。
理由は簡単です。小学校の時まで、自分の家の職業が嫌だったからです。
小学6年生の時か中学1年生の時に『自分の家の仕事が何をやっているのか?』を理解
小学校低学年の時は、自分の家が『味噌屋』ということが非常に嫌でした…。
なぜかというと、小学校の時は、身体的特徴やいろんな特徴で『あだ名』をよくつけられます。
その時に、自分の場合は家が味噌屋だったので、『味噌屋』とか『お味噌』と呼ばれていたのを覚えています。
また、自営業ということもあり、母や父は多忙で、家族のふれ合いとかよりも、仕事の方が優先でだったと思います。
そのかわり、亡くなった祖母がよく、自分の面倒を見て下さり、いつも『おばあちゃん子』でした♪
本当に本当に、おばあちゃんが大好きでした…
中学校の時くらいに、無農薬のお米をいただく
そんな、親子のふれあいが非常に少ないなか、祖母がなくなり、時間は経ちました
その時、マルカワみそは父が『どうしても、無農薬のお米と大豆でお味噌を作りたい…』という
思いから、周囲と家族の反対を押し切って、自分で無農薬の田んぼをやり始めました…。
ちょうど今くらいの、実りの秋を迎えた時に、父が作った、お米をいただきました。
その時、頂いた感想は『おぉっ、めっちゃおいしい!!!』でした。
今までのゴハンは何だったのだろうか?と思いました。今でもあの味を覚えています。
その時くらいから、『あ~親父はこんなことをしているのだなぁ…』となんとなく理解し始めました。