農林水産省のHPにマルカワみその名前が掲載されていた。震災の時の記事であった。
- 2012/12/17
- 味噌のお話
農林水産省のHPに東日本大震災の企業からの食料無償提供の申し出というのにマルカワみそが掲載されていた
農林水産省のHPにマルカワみそが載っていた。
震災後のことなので、1年から2年前になりますが、企業からの食料等の無償提供の申し出というHPに掲載されていた。
マルカワみそから載せて欲しいなどと、一切言っていないのに、いつの間にか掲載されていた(汗)。もちろん、お味噌のメーカさんやいろんな企業さまの名前もたくさんありました。
震災からもうすぐで2年近く経ちますが、時間の流れははやいなぁ…と感じました。まだ、震災の傷跡は残っていますし、日本もこれからですね。
戦国武将の名君たちは味噌を残したと言っても過言ではありません。
お味噌は戦国時代の時には、兵糧として非常に役にたちました。『腹が減っていは戦ができぬ』ということわざがあるくらい、戦国武将たちはお味噌作りや備蓄に奨励していました。
お味噌が兵糧として、役に立つのは簡単です。
作る人数は省力で大人数の方に振る舞えるからです。しかも、具材の食料調達も非常に簡易で、身体をポカポカと温めます。
おにぎりを100人前作るとなると、非常に大きな労力とスタッフさんが必要になります。しかし、味噌汁100人前は大きな鍋と火力さえあれば、一人でも(?)作る事は可能です。
しかも、戦の時には野ざらしで戦っているために、身体をポカポカにするお味噌汁はいいものですね。
武田信玄公は『信州味噌』、伊達政宗公は『仙台味噌』、徳川家康公は『豆味噌』、上杉謙信公は『越後味噌』などなど…。
名君は味噌を残した!!と言われる位、味噌作りが盛んな地域は戦も強かったですね。
きっと、自分の民が(当時は冷蔵庫などなかったので、)飢饉などで民が飢えるのも耐えがたいものがあったのですね
保存食としてのお味噌、兵糧としてのお味噌、非常食としてのお味噌、お味噌が持つパワーは計り知れないと感じた。